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History
 (無線歴1)

​ゲルマニウムラジオ

 何歳の頃か忘れたのですが、近所の悪ガキグループと遊んでいたとき、親分格の「けいちゃん」がゲルマニウムラジオを見せてくれました。ラジオのクリップを遊び場にあった有刺鉄線に挟むだけで、NHKラジオがイヤホンから聞こえて来ました。

​ 電池も使わずに電波が受信出来るなんて、摩訶不思議な衝撃的できごとでした。

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昭和レトロなトランシーバー

 小学生になり、悪ガキグループの年長は高学年となってきました。お年玉などもまとまった小遣いが手に入るようになり、近所のおもちゃ屋「かみまん」で売っていたトランシーバーを手に入れることができる子どもも出て来ました。当時としては、最先端の遊び道具でした。

​ 4石、6石で27MHz帯を使用した100mmWのトランシーバーでした。

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​BCLラジオ

 昭和47年ごろ、外国などの短波ラジオを受信するBCLブームが到来しました。受信報告をラジオ局に送るとBCLカードが発給されました。BCL専用のかこいいラジオが各社から発売されていました。

​ 特にナショナルのクーガーシリーズは、ラジオの頭頂部にくるくる回るバーアンテナが装備され、BCL少年には垂涎の的でした。私は、まだまだ手に入れる身分ではなく、父親の古いラジオを機械ごと回してましたよ。

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ワイヤレスマイク

 当時のワイヤレスマイクと言えば、FMラジオ放送周波数帯を使っていましたので、FMラジオをスピーカー代わりに使用するのが普通でした。

​ FMラジオとワイヤレスマイクを1セットで持ち、無線機ごっこをしていた思い出があります。

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ラジオ少年オーディオに走る

 高校入学時に、幼少から親が私名義で貯めていた貯金通帳を頂きました。貯金通帳はすぐさま、かねてから憧れていたテクニクスのオーディオに姿を変えました。

 リニアフェイス・スピーカー(音域により速度が違う特性を、スピーカー位置を前後にずらすことによって補正するという)SB-7000を購入。当時ペアで18万円という高級品でした。

​ 恥ずかしい話しなのですが、還暦を迎えた今もこのスピーカーは毎日お世話になっています。

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ラジオ少年 バイクにはまる

 ラジオ少年も高校生になると、オートバイに興味を移していきます。父親が乗っていたヤマハのチャッピーをかなりいじって乗っていました。しかし、マフラーなどの交換ではなく、チャッピーには付いていなかった方向指示インジケーターやギヤインジケータランプなどを自作した電気的付属品にチカラを入れていました。

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バイク少年 アップグレードする

 50ccバイクでは満足できず、校則を破って中型自動二輪免許を取得。カワサキのSS250に乗っていました。3気筒2サイクルエンジンは、モーターのように回り、白煙を巻き上げて走っていました。

​ 不良高校生の悲しい最後は、自動車と衝突し、それが高校にばれて往復ビンタ30回を食らいました。ラジオ少年はどこへいってしまったのでしょうか?

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ラジオ少年 大学生になる

 昭和54年、なんとか京都の大学へ進学することが出来ました。そこで知り合ったのが小笹晃氏。現在は京都の紫野で、茶道表千家の宗匠として「空裡菴」を名乗っていますが、当時はアマチュア無線技士JF3UPSとして無線局を開局していました。144MHzのSSBで京都市内から八幡市の局とQSOしてみせてくれました。

​ 写真は1979年発売のトリオTS-770ですが、こんな感じのリグだっと思います。

​ なんとなく忘れ去っていた、ラジオ少年の血が騒いだのは言うまでもありません。

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あこがれのギャランラムダに乗る

 大学2年生のとき、アルバイトで貯めた80万円で中古の三菱ギャランラムダを手に入れました。直前までマツダのコスモを狙っていたのですが、京都の双岡にあった双葉自動車で衝動買いに近い状態で購入しました。

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パーソナル無線局を開局

 1970年代から急速に増加し社会問題化してきた大出力、多チャンネルの不法市民ラジオ(不法CB)を排除するため、1983年(昭和58年)1月からパーソナル無線は制度化されました。

 JF3UPS小笹氏の影響を強く受けていた私は、申請だけで開局できるパーソナル無線を選択しました。パーソナル無線はビープ音の中に自局情報が混入されており、1分ごとにそれが送出されるため識別符号を口頭で送出する必要がなく、私の場合は「阪神の原」(当時、野球の読売巨人軍に原辰徳が入団したのをもじって)というハンドルネームで出ていました。

​ パーソナル無線は900MHzという高周波を使用していたため、車載にもN型コネクターが必須で、当時半田付けもしていない接線を見かねたJF3UPS小笹氏が半田付けをしてくれて、飛躍的に送受信性能が上がったことを覚えています。

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